芸術家として人間として否定され続け、孤独な生涯を送った画家フィンセント・ファン・ゴッホ。そのゴッホが芸術家たちの集う場所として作った通称「黄色い家」には、史実ではポール・ゴーギャンのみが応え、そして去って行きました。

そんな「黄色い家」に、もし本当に芸術家たちが集っていたら…。19世紀フランス、ナポレオン亡き後の激動の時代にもしも芸術家たちが関わっていたら…。

そこを物語のスタートとし、「芸術」「不器用」「人間関係」をテーマに織り成す虚実の物語を立ち上げます。


フッさん

actor:立花裕介

【フィンセント・ファン・ゴッホ】35歳 。画家。

感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。

フォーヴィスムやドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。

主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代(1888年-1889年5月)とサン=レミでの療養時代(1889年5月- 1890年5月)に制作された。

 

1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれ、画商、教師、書店員、聖職者など様々な職業をへて画家を志し、弟テオの援助を受けながら画作を続けた。

南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て、ポール・ゴーギャンを迎えての共同生活が始まったが、次第に2人の関係は行き詰まり、12月末のゴッホの「耳切り事件」で共同生活は破綻。

以後、発作に苦しみながら病院への入退院を繰り返し1890年7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に死亡した。

 

生前に売れた絵は『赤い葡萄畑』の1枚のみだったと言われているが、晩年には高く評価する評論が現れていた。

死後、回顧展の開催、書簡集や伝記の出版などを通じて急速に知名度が上がるにつれ、市場での作品の評価も急騰。

約10年の活動期間の間に弟テオや友人らと交わした多くの手紙と2,100枚以上の作品を残した。

印象派の美学の影響を受けながらも、大胆な色彩やタッチによって自己の内面や情念を表現した彼の作品は、外界の光の効果を画面上に捉えることを追求した印象派とは一線を画するものであり、ゴーギャンやセザンヌと並んでポスト印象派を代表する画家である。またその芸術は表現主義の先駆けでもあった。【以上、史実】

 

本作劇中では、物事の真実を聴く耳をもち、目でとらえ音を聞いて筆を走らす。独善的でエキセントリックな反面、芸術に対しひたむきで、友人たちへの愛に素直になれない弱さと優しさが描写される。


ポーさん

actor:上杉逸平(メガネニカナウ)

【ポール・ゴーギャン】40歳。画家。

フランスのポスト印象派の画家。1848年二月革命の年にパリに生まれた。

兵役でフランス海軍に入隊し、その後パリ証券取引所での職を得て株式仲買人として働くようになり実業家として成功したが、パリの株式市場が大暴落し、生活の立て直しを図ったがうまく行かず、家族とは別居し単身パリへと赴く。

画業で生計を立てようとするが困窮し、ゴーギャンの絵を見て感銘を受けたゴッホの誘いで「黄色い家」での9週間にわたる共同生活を送るも2人の関係は次第に悪化し、ゴッホが耳を切るという事件の発生も受けて離れて行った。

 

2人はその後二度と会うことはなかったが、手紙のやり取りは続け、アントウェルペンにアトリエを設けようという提案までしている。

旅行・滞在先のパナマやタヒチ、マルキーズ諸島をモチーフに風景画、静物画、人物画に多く取り組んだが、ポール・セザンヌに「中国の切り絵」と批評されるなど、ゴッホを除く同時代の画家たちからの受けは悪かった。

しかしながら没後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかけたゴーギャンの孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得していく。

 

晩年健康状態が悪化し、ほとんど絵の制作ができなくなり、自伝的回顧録の執筆や、体制への批判と言った活動を行っている中、1903年5月8日の朝、急死した。【以上、史実】

 

本作劇中では「黄色の家」の最年長者で作中時点最も評価されている画家として彼らのまとめ役として活躍するが、家族を捨て革命と絵画に奔ったボナパルティストとしての狂気も描かれる。


ジュニア

actor:鈴木太海

【ポール・シニャック】25歳。画家。

シニャックは1863年パリで生まれ最初は建築を学んでいたが、18歳の時に絵画に転向した。

1886年の第8回(最後の)印象派展にスーラとともに出品している。

 

シニャックはスーラから大きな影響を受けているが、シニャックの点描画は、筆触がスーラのそれよりも長く、2人の画風は微妙に異なっている。

海を愛し、自らもヨットを操縦したシニャックは、当時まだひなびた漁村であったサントロペに居を構え、海辺や港の風景、ヨットなどを好んで描いた。

 

理論家タイプで無口なスーラとは対照的に話し好きで陽気な性格であった。

気難しい性格だったフィンセント・ファン・ゴッホとも争いを起こす事もなく、アルルでの共同生活には応じなかったもののゴーギャンとの衝突の末に片耳を切った事件の直後には見舞いにも行っている。

寡黙で自ら多く語らず、しかも短命だったスーラに代わり新印象派の理論を世に知らしめた点でもシニャックの功績は大きい。【以上、史実】

 

本作劇中では「黄色の家」で同じ名を持つゴーギャンが居るためジュニアと揶揄され辛酸を舐め、辛い過去と自ら吐いた嘘に揺れ続ける姿が描写される。


ジョー

actor:野倉良太(東京ガール)

【ジョルジュ・スーラ】29歳。画家。

スーラは、印象派の画家たちの用いた「筆触分割」の技法をさらに押し進め、光学的理論を取り入れた結果、点描という技法にたどりつき、完成作を仕上げるまでに多数の素描や下絵を制作して、入念に構想を練った。

 

1859年パリの裕福な中産階級の家庭に生まれる。

1883年から最初の大作『アニエールの水浴』の制作に着手。この作品には、部分的に点描に近い画法が見られるが、人物の肌などは伝統的な技法で描かれている。

スーラは大作を仕上げるまでに、多くの素描や油彩下絵を制作し、全体の構図、モチーフの選択と配置、人物のポーズなどを細かく研究している。

 

典型的な中産階級の家庭に生まれ、正規の美術教育を受けたスーラは、早世したという点を除いては特に波乱のない平穏な人生を送った。

スーラは寡黙で内省的な性格であったと言われ、私生活については他人に全く語ることがなかったという。【以上、史実】

 

本作劇中では、画家たちの中でもっとも温和で仲間の和を守る存在として描写される。


アンちゃん

actor:池山ユラリ(彗星マジック)

【アンリ・マティス】19歳。画家。

フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。

自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続け、彫刻および版画も手がけている。

 

1869年、豊かな穀物商人の長男として生まれ、裁判所管理者の資格を得るためにパリへと出るが、絵画に「楽園のようなもの」を発見した彼は、画家に転向する決意をする。

マティスの初期の作風は写実的なものを志していたが、次第にフィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。

 

大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、ヴラマンク、ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになるも、フォーヴィスムとしての活動は3年ほどの間だけで、それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。【以上、史実】

 

本作劇中では、絵画展で「黄色の家」の画家たちの作品に触れその門を叩く、フォーヴィズムを体現したような性格の新人女性画家として描かれる。


アルル

actor:米山真理(彗星マジック)

25歳。「お嬢」の元使用人。画家志望。

共に家族のように過ごし仕えたお嬢様の姿を描くため「黄色い家」の門を叩く本作の主人公。

画家たちとの生活と創作の日々を、お嬢様への手紙にしたため続ける。

やがて彼女やお嬢様の過去と画家たちの過去が、激動の時代と交錯し、隠されていた真実と悲劇が姿を現す…。


メルル

actor:大阪公演|福田恵(劇団レトルト内閣)、沖縄公演|犬養憲子(演劇きかく「満福中枢」)

    福岡公演|高山実花  、札幌公演|天野ジロ(札幌ハムプロジェクト)

「お嬢」の元使用人。

アルルと共にお嬢様に仕えたメイド。故人。


お嬢

actor:中嶋久美子

34歳(存命の場合)。

メイドとして仕えるアルルとメルルを大切にし、絵を描きながら静かに生活を送っていたが…。